2019年8月4日日曜日

増え広がる教会



.「あなた方は力を受けます」前回のメッセージの復習

人々を救うことのできる方は神お一人です。ここに登場する教会は、みことばに生き、神の家族として一つにされ、神の願いを自分たちの願いとして祈り、聖く恵み深い神を畏れ、奇跡がなされ、惜しみなく分かち合い、一人一人が真の礼拝者として生きる教会でした。

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」 (使徒の働き1章8節)

そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。
信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。
そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。
そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。
(使徒の働き2:42~47)

① 聖霊は教会に「みことばに生きる力」を与える
「彼らは使徒たちの教えを堅く守り・・・」-----助け主である聖霊はキリストのみことばに従って生きようとする弟子たちに、その力を与えてくださる方です。

② 聖霊は教会に「一つとなる力」を与える
「交わりをし、パンを裂き・・・」-----聖霊は私たちが夫婦として、家族として、教会として一つとなる力を与えてくださいます。

③ 聖霊は教会に「祈りの力」を与える
「祈りをしていた。」-----聖霊は祈りを通して私たちの心のフォーカスを神の御心にぴったりと重なるように導いてくださる方です。

④ 聖霊は教会に「神を知る力」を与える
「一同の心に恐れが生じ・・・」-----私たちの交わりの中に聖霊がおられるなら、私たちは父を見る(知る)ことができるのです。聖霊は私たちに父なる神と人格的に交わる(知る)力を与えてくださる方です。

⑤ 聖霊は教会を通して力あるわざをなされる
「多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。・・・」-----聖霊は今でも教会を通して、主イエスがなされたのと同じように、父のみこころに従って奇跡を起こされる方です。しかし、それ以上に大切なことは、私たちを父の願う姿に変えてくださる方であるということです。ただし、私たちが心からそれを求め従うなら・・・。

⑥ 聖霊は教会に「分かち合う力」を与える
「・・・いっさいの物を共有にしていた。」-----聖霊の交わりの中にあって、教会はすべてを共有し満ち足りていました。弟子たちは豊かに与え、豊かに受け取る者であったからです。

⑦ 聖霊は教会に「礼拝者として生きる力」を与える
「そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。」-----聖霊は私たちに礼拝者として生きる力を与えてくださいます。それは聖霊の力による変革です。

⑧ 聖霊は教会に「キリストの証人として生きる力」を与える
「主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」-----上にあげた条件を備えた教会を通して、人々はキリストを知り、そしてキリストを通して父との交わり、神の家族との交わりの中に導き入れ、キリストの証人として生きるように変えられたのです。信じて従う者たちに聖霊はその力を現わしてくださるのです

Ⅱ.増え広がる教会

こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。                   (使徒の働き 9章31節 新改訳聖書)

※参照: 基礎が固まって発展し(新共同訳) どんどん増え広がっていきました。(リビングバイブル)

この箇所で教会と訳された言葉は単数で書かれています。地域に散らばった教会ではあったけれど、キリストのからだとして一つにつながれていたことを教えています。新改訳聖書では「信者の数がふえて行った。」となっていますが、原文には信者という言葉はありません。聖書のフォーカスは「一つの教会がどんどん増殖していった」ということに置かれています。英語の聖書のいくつかではmultiply という言葉が使われています。確かに数として増えて行ったのですが、どんなに増え広がっても教会は一つだったのです。

ちょうどイチゴがランナーという茎を地表に這わせることによって株を増やしていくのに似ています。一つ一つの株が独立しているようにみえてもランナーでつながっています。聖霊によって生まれた一世紀の教会はエルサレムから始まって、ユダヤ、サマリヤの全土、地の果てまで、爆発的に増え広がっていきました。でもその増殖はすぐれたリーダーたちの努力や計画によるものではなく、神のことばと聖霊の導きに従った普通の人々を通してなされた神の働きです。そういった意味で、この書は「使徒の働き」というよりは「聖霊の働き」と呼んだほうがふさわしいと思います。イチゴに増殖していく生命力(DNA)があるように、一世紀の教会に聖霊と言う生命力が宿っていたのです。その生命力が解放されさえすれば、教会は自然に増殖していくのです。なぜならそれが教会のDNAだからです。

9章31節に登場する教会は、(前回のメッセージで引用した)2章42節~47節に書かれている教会の成長した姿です。聖霊の生命力によって成長(増殖)した教会がどのような教会であったかもう一度、確認してみましょう。聖書の教える教会とは、聖霊の力によって①みことばに生き、②キリストにあって一つとされ、③神の御心を求めて祈り、④神がどのような方であるかを知り④聖霊が力を現わし⑤持てるものを豊かに分かち合い⑦日々、礼拝者として生き⑧生活を通してキリストを証しする人々の集まりです。それが教会であり、神の家族のあるべき姿です。実際の私たちはさまざまな面で未完成であり、欠点を抱えたものです。しかし、神のことばに従い、聖霊の導きに従って生きるならば、そこに聖霊の力(デュナミス)が解放されていくのです。聖霊には私たちをキリストにあって豊かに生かし、成長させ、増殖させる力があるのです。