2019年6月9日日曜日

だれでもわたしについて来たいと思うなら


それからイエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。
自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者はそれを見出すのです。 
人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか。そのいのちを買い戻すのに、人は何を差し出せばよいのでしょうか。 
人の子は、やがて父の栄光を帯びて御使いたちとともに来ます。そしてそのときには、それぞれその行いに応じて報います。                 
(マタイの福音書 16章 24〜27節 新改訳2017)

Ⅰ.ティーンチャレンジ

二泊三日で友人の木崎牧師が運営するティーンチャレンジを訪問しました。岡山市の中心部から、のどかな山里の景色を眺め車で30分ほど走った道路沿いの林の中に更生センターがあります。ここでは、さまざま依存症の問題を抱えた若者たちが、聖書の学びと農作業を中心とした回復プログラムを通して、新しい人生の出発地点に立つために一年間の学びと訓練の生活を送っています。

ティーンチャレンジのホームページにはこんな言葉があります。「麻薬やお酒を止めることに焦点を当てるのではなく、神と人のために生きることに集中する。やりがいのある仕事につき、愛する家族を守っているとき、人は依存症には戻れません。」

ティーンチャレンジは依存症の解決が聖書のことばに生き、神との親密な関係を築くことにあると考えています。依存症からの回復や社会復帰が彼らの考える最終的なゴールではありません。彼らが願っているのは、すべての人に福音を伝えることであり、そしてその福音を通して人々が造り変えられ神と人を愛する人生を生きるようになることです。確かに依存症を抱えた人々のためミニストリーではありますが、宣教と弟子作りがその働きの中心にあります。

Ⅱ.だれでもわたしについて来たいと思うなら・・・・わたしに従ってきなさい。

岡山に滞在中、何人かの若いティーンチャレンジのスタッフとお話しをする機会がありました。彼ら自身がかつて依存症に苦しみ人生に挫折した経験を持っています。ホームページで赤裸に証していますのでご覧になってください。卒業生の多くが自分たち同じ依存症で苦しむ人々の助けとなりたいという願いをもってこのミニストリーに関わっています。「わたしについて来たいか?」という主イエスの問いかけに「YES!」と応えた若者たちの姿がそこにあります。 http://www.teenchallengejapan.com/addiction.html

彼らの姿を見て、「自分はこの若者たちのように神様の招きに応え、神の働きのために人生をささげているだろうか?」と自問させられました。私たちの救い主は、恐怖で人を駆り立てることも、ご利益で人を誘うこともされません。なんの駆け引きもなくただ「わたしについて来たいか?」と問いかけておられるのです。その問いに「YES!」と答える人々に対して、主は「従って来なさい」と求められるのです。

Ⅲ.自分を捨て、自分の十字架を負って、

「自分を捨て、自分の十字架を負って・・・」とても厳しい投げかけです。キリストは私たちに「自分の人生の所有権を放棄して、わたしに明け渡しなさい」と求めておられるのです。

クリスチャンになるということは、もちろん罪赦され、神の子とされ、神の国の市民権を得、祝福の中を生きることを意味しています。しかし同時に、クリスチャンになって神の国に生きるとは、神の国の王であるキリストに自分の人生の所有権を明け渡して、しもべとして生きることを意味しています。

主イエスは、弟子たちに、「人生の所有権を握って自分のために生きるのか、それとも、それを放棄して自分を造られた方と他の人たちのために生きるのか」という選択を迫っているのです。

岡山で出会ったティーンチャレンジのスタッフにマユさんという二十代の若い女性がいました。両親の離婚から十代の時に不登校になり、非行に走り、アルコール依存症になり、リストカットと自殺未遂を繰り返す・・・そんな壮絶な人生からティーンチャレンジの在宅サポートで回復し、新しい人生を歩み始めた女性でした。マユさんは、同じような苦しみを抱えている女性のために何かをしたいと願いに駆り立てられて、岡山に移住し今ボランティアスタッフとしてティーンチャレンジの働きを助けています。

Ⅳ.キリストにある自由と喜び

自分の所有権をすすんで手放したいと思う人はだれもいないと思います。自由を失いたくないからです。しかし聖書は、自分の所有権を握りしめている人間が実は罪の奴隷であると教えています。

25節に、「自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者はそれを見出すのです。」とありますが、マタイの福音書では次のように書かれています。「自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」(マタイの福音書10章39節)

「人生の所有権を手放して、神に全面的に明け渡した時、はじめて私たちは本当の自由とそこにある喜びを手にすることができる。」聖書はそう教えています。岡山で出会った若者たちはその生きた証しです。

そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
(ヨハネの福音書8章31節~32節)