2019年2月17日日曜日

契約の愛・ヘセド


◆エレミヤ書29章11節~14節
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。
もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。
わたしはあなたがたに見つけられる。

Ⅰ.神の変わらない契約

この箇所は、神がイザヤを通してイスラエルの民に語られた預言です。当時、イスラエル人は祖国を失い、占領国であるバビロンに捕囚として暮らしていました。失望の中にいた同胞にあてたエレミヤの手紙の一部分です。イスラエルは神の選びの民であり、神のご計画に召された民でした。しかし、神の契約から離れ、自分たちの目に良く見える道を歩むようになり、しだいに彼らを召した神から離れていきます。神はそのような彼らを、忍耐をもって導き、ご自身に立ち返るように何度となく呼びかけるのですが、イスラエルの民は「離れては、立ち返り、また離れる」を繰り返し、やがて神の契約によって与えられた約束の地を失ってしまいます。そのように不真実な民であったにも関わらずあわれみに満ちた神の契約は変わりませんでした。

Ⅱ.契約の愛・ヘセド

人間の苦しみが始まったのは、創造主との関係を失った時からです。聖書は人間の苦しみの根本的な原因がそこにあること、また、創造主である神との関係を失った人生の結末が滅びであることを教えています。私たちを造られた方との関係を持たないでも、一時的には楽しく生きることができるかもしれませんが、その先にあるものは霊的な死です。なぜなら神がすべての霊的ないのちの源だからです。イスラエルの民に与えられた契約は、いのちの源である創造主との特別な選びの中に生きることでした。その関係の中にすべての祝福が約束されていたのですが、その契約を自ら捨ててしまいました。それが旧約聖書の後半の物語です。しかし、そのような民に対して神は驚くべき言葉をもって語りかけておられます。

◆イザヤ書54章10節
たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。」とあなたをあわれむ主は仰せられる。

ここで「変わらぬ愛」と訳されているもともとの言葉はヘブル語の「ヘセド」です。このヘセドは「契約の愛」を表しています。何があっても愛し続ける愛、決して手放さない愛です。神の契約を捨てたイスラエルの民は確かに厳しい取り扱いを受けます。しかし、その民に対して、神はこのように語りかけておられるのです。神がイスラエルの民を契約の愛をもって愛されたように、私たちをも契約の愛をもって愛しておられるのです。人間の愛には限界がありますし、状況が変わると変質してしまいます。しかし、私たちに対する神の愛は決して変わりません。新約の時代に神はキリストを通して、ご自身の変わらない愛をすべての人に現わしてくださったのです。神の民とされた私たちはその変わらない契約の愛に応えて生きようとしているでしょうか。

Ⅲ.心を尽くして

神はご自身の契約から離れたイスラエルの民に次のように呼びかけておられます。「あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。わたしはあなたがたに見つけられる。」(12節~14節)私たちに求められているのは神を呼び求めて歩む生活、祈る生活です。また、神のみこころを心から求めて生きることです。聖書は、単に求めるのではなく「心を尽くして」求めるようにと語りかけています。そのためには、優先順位を変えなければならないでしょうし、時間を割かなければならないでしょう。また、繰り返し続けていかなければならないと思います。祈りの答えがインスタントに与えられないこと、神のみこころが簡単に分からないことは、私たちにとって幸いだと思うのです。もし、すべてがインスタントに答えられ、得られるとしたならば、そこには「心を尽くす」余地がなくなってしまうからです。不真実な人間が神との契約を破っても、真実な神はあくまでもご自身の契約を守られるのです。

罪を持った私たちは自分の努力で神の契約にふさわしい者となることはできません。イエス・キリストが十字架の上で支払われた代価によって、神は私たちをご自身の新しい契約の中に招き入れてくださったのです。神の民とされた私たちは、平安を与える計画、将来と希望を与える計画の中に生かされているのです。創造主である神は、イエス・キリストを通して、私たちを全く新しく造り変え、今、御子の姿へと造り変え続け、やがてキリストの花嫁として完成しようとされているのです。私たちはどこまで「心を尽くして」この招きに応えようとしているでしょうか。

◆ピリピ人への手紙1章6節
あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。

自分の試練を、他の人の試練と比べても意味はないし、そんなことはすべきじゃない。
神の家族と手を取り合って一つになろう。いっしょに神様の約束に固く立とう。
君がどんな人か、どんな所を通っているのか、神様は全部わかっている。
神様は君のそばにいて、どんな試練でも必ず乗り越えさせてくださる。
(ニック・ヴイチチ)