2019年1月13日日曜日

自分を変えていただきなさい


◆ローマ人への手紙12章1節~節(新改訳聖書2017)
ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげものとして献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。

Ⅰ.聖なる生きたささげもの

「あなたがたのからだを・・・献げなさい。」と書かれていますが、自分自身を(からだだけでなく心も)そっくり献げなさいという意味です。部分的に献げられたものを聖書は聖いとはみなしません。全体を献げてはじめて「聖なる生きたささげもの」とみなされるのです。

主イエスを信じて神の子とされているなら、私たちの所有権はすでに神のものとされています。私たちは「自分は自分のものだ。」と錯覚して生きていないでしょうか?「自分のいのちを自分の望むまま間に使って生きる人生」と「神に与えられたいのちを神の作品として生きる人生」とでは天と地ほどの違いがあります。

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。(コリント人第一の手紙6章20節)

Ⅱ.心を新たにする 

もしこの箇所を「神に受け入れられるように、また完全になるために、一念発起して自分を変えなさい。」と読み取ったとしたらどうでしょうか。その要求に応えることのできる人はだれもいないと思います。幸い、聖書はそのようなことを私たちに要求してはいません。私たちは自分で自分を造り変えることはできないからです。私たちを造り変えることのできるお方は私たちを造られた神様だけです。ここで教えているのは、「キリストを通して新しいいのち(アイデンティティ)が与えられているのだから、それにふさわしい考え方をしなさい。そうすれば、神があなたを造り変え(続け)て、みこころにそった生き方ができるように助けてくださる。」ということだと思います。私たちは神の子とされているばかりでなく、次のようなアイデンティティも与えられていることを忘れてはなりません。

しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。(ペテロ手紙第一2章9節)

「心を新たにしなさい」とは、私たちがそのような存在であることに気づきなさい、自覚しなさいという呼びかけです。自分の決意や意思の力によってということではありません。古い心のままでいること(自分を手放せないこと)は古いアイデンティティの中に相変わらず生き続けていることを意味しています。自分がキリストにあってどのような存在であるかを自覚して、それにふさわしく生きようとする時に聖霊が助けてくださるのです。

Ⅲ.自分を変えていただきなさい。

ここで「変える」と翻訳されている言葉はギリシャ語の「メタモルフォー」です。見分けがつかないほど姿変わりする様子を表した言葉です。英語のメタモルフォシス(変態)の語源となっている言葉でもあります。昆虫の成長過程で(ヤゴがトンボになるように)まったく形態が変わってしまう変化を表す言葉です。聖書は神の民(教会)がやがて、すべての束縛から解かれて、神の望まれる完全な姿へと変えられる日が来ると約束しています。ここでは、私たちがこの地上に生かされている間も完成に向かって変えられ続けていくその変化について教えています。その変化は私たちを造り変えたいと願っておられる父なる神が聖霊を通して私たちのうちの起こされる変化です。ただし、その変化が起こるのは、私たちが「聖なる生きたささげもの」として自分自身をささげるときです。

しかし、人が主に立ち返るなら、いつでもその覆いは除かれます。
主は御霊です。そして、主の御霊のおられるところには自由があります。
私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(コリント人への手紙第二3章16節~18節)

※メタモルフォーを「トランスフォーム」と翻訳している複数の英語の聖書があります。
※メタモルフォーは変貌山で主イエスが姿変わりする場面でも使われています。(マルコの福音書9章2節)