2018年12月16日日曜日

良き牧者の声


「救い主は、私たちと語り合うためにこの地上に来てくださった。」それが今日のメッセージです。

◆ヨハネの福音書10章1節~11節
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門からはいらないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。
しかし、門からはいる者は、その羊の牧者です。
門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。
彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。
しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえって、その人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。」
イエスはこのたとえを彼らにお話しになったが、彼らは、イエスの話されたことが何のことかよくわからなかった。
そこで、イエスはまた言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。
わたしの前に来た者はみな、盗人で強盗です。羊は彼らの言うことを聞かなかったのです。
わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。
盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。
わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。

Ⅰ.羊には牧者の声を聞き分ける能力がある

家畜である羊は外敵から身を守るすべを持たない無力な動物ですが、ただ一つすぐれた能力が与えられています。それは自分の飼い主である牧者の声を聞き分ける能力です。神の民である私たちは、良き羊飼いである主イエスの羊です。主イエスの羊であるならば、主イエスの声を聞くことができると聖書は教えています。それをそのまま受け取るべきではないでしょうか。

祈ること、聖書を読むことが大切であるのはもちろんです。しかし、私たちは、そこにどれほど注意を向け、そこからどれほど聞き取ろうとしているでしょうか。祈りを通して、また聖書のみことばを通して良き牧者の声を聞き、そしてそれだけでなく毎日の生活のすべての場面で、良き牧者である主イエスの声を聞きながら歩むこと、その習慣を身に着けることが大切です。

◆ヨハネの福音書1章14節
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

主イエスがこの地上に来てくださった、生まれてくださったのは、神の恵みのことばを私たちに伝えるためです。神の子とされた者たちには、遠慮なく父の名を呼べる特権だけでなく、父の声を聞くことのできる特権も与えてくださっているのです。そうでなければ特権とは言えないはずです。最高に良き方である天の父に呼びかけ、なんでも訴え、同時に、今私たちに語りかけている恵みに満ちたメッセージを聞き取ることができるからこそ、天の父との親しい交わりの中に生きることができるのです。そう約束されているわけですから、そのまま受け取るべきではないでしょうか。それが、豊かないのちを受け取って、本当の意味で豊かに生かされることの秘訣です。

たしかに私たちの思いの中では、いろいろな雑音が響いています。また、深く根を張った否定的な思いに占領されているかもしれません。そのため神のことばをそのまま受け止めることがとても困難に思えるのです。しかし、聖書は単純に、羊は牧者の声を知っている、その声を聞き分ける、その声について行くことができると、なぜならそれが羊にはじめから備わっている能力(本能)だからだと教えているのです。その真理を選び取った時に、少しずつですが、すべてが変わり始めます。
Ⅱ.単純な原則

静まって祈るために、たまに断食しても良いですが、それよりも日常の中で、朝起きた時から、夜布団に入って眠りにつくまで、良き羊飼いである主イエスとの対話の中に生きること、その習慣をつけることが重要です。習慣にするための、いくつかのステップがあります。まず、1.羊である私には良き牧者である主イエスの声を聞く能力があることを認める。次に、2.良き牧者の声に注意を向け、耳を傾けて生活する。3.そして、良き牧者の声の語りかけに従う(聞いたことを実行する。)単純に言えば、そのように生きることがキリストの平安とそれに伴う祝福の中に生きる秘訣だと聖書は教えています。

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。(コロサイ人への手紙3書15節)

問題は、先にも述べましたが、神の子どもとされている私たちの心が、キリストの平和以外のもので支配されていることにあります。長い間、私たちのこころを支配してきた要塞のような否定的な思いを、私たちが自分の力で取り除くことはできません。解決は良き羊飼いである主イエスの声に耳を傾け、そこに意識を向けるところから始まります。主イエスのことばには私たちを束縛から解放し、自由にする力といのちが宿っているからです。

Ⅲ.豊かないのちを受け取るために

盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。(ヨハネの福音書10章10節)

盗人とはもちろん悪魔のことですが、私たちから何を盗むというのでしょうか。悪魔が盗もうとしているものは、良き牧者である主イエスが私たちに与えようとされている「豊かな祝福に満ちた約束」、「神のいのちにあふれた人生で」す。「羊飼いの声を聞くことができないと信じ込ませれば、その声に注意を向けないようにさせれば、羊は豊かないのちを受け取ることができなくなる。」そのことを悪魔はよく知っているのです。

ご利益と祝福は似て非なるものです。人間がご利益を受けるとき、だれが自分にそのご利益を与えたのかほとんど関心がありません。そこに親密な関係を見つけることはできません。一方、聖書の教える祝福は創造主との親密な関係の中にしか見出すことはできません。また、聖書の教える祝福は、それを受け取る人自身がほかの人々への祝福となるという点でも違っています。良き牧者である主イエスを通して、天の父がどんなに恵みに満ちた方であるかを知り、その親しい交わりの中に生きるときに、私たちは神のいのちに満たされ、周囲にいる多くの人々の祝福になることができるのです。それは良き牧者である主イエスの声を聞いてついて行く人々だけに約束されている豊かな祝福です。

小さなところから始めていきましょう。良き牧者である主イエスは、今日もあなたに何かを語りかけているはずです。あなたを通して、たくさんの人たちにご自身の恵みを伝えたいのです。あなたを通して渇いた人々を癒し、あなたを通して囚われた人々を開放し、あなたを通して人々を豊かに祝福し、そこに神の国を広げたいと願っておられるのです。静かに語りかけておられる良き牧者の声に耳を傾け、あなたに何を語りかけておられるのか聞いてみませんか。