2018年10月14日日曜日

収穫の働き手



ラルフ・モア先生の直弟子の一人ジョン・ホナルド先生を水曜日のスモール・グループにお招きしました。ジョン先生は、ご自身のお証しを交えて「出て行く教会」をテーマに4つのポイントでお話ししてくださいました。今日は、ジョン先生が語られた4つのポイントをもう少し掘り下げて、皆さんといっしょに学びたいと思います。


その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。
そして、彼らに言われた。「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。
さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に小羊を送り出すようなものです。
財布も旅行袋も持たず、くつもはかずに行きなさい。だれにも、道であいさつしてはいけません。
どんな家にはいっても、まず、『この家に平安があるように。』と言いなさい。
もしそこに平安の子がいたら、あなたがたの祈った平安は、その人の上にとどまります。だが、もしいないなら、その平安はあなたがたに返って来ます。
その家に泊まっていて、出してくれる物を飲み食いしなさい。働く者が報酬を受けるのは、当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。
どの町にはいっても、あなたがたを受け入れてくれたら、出される物を食べなさい。
そして、その町の病人を直し、彼らに、『神の国が、あなたがたに近づいた。』と言いなさい。
(ルカの福音書10章1節~9節)

主イエスが七十人の弟子たちを町や村へ遣わされたように、キリストの弟子とされた私たちも遣わされているのです。私たちが生活しているその場所が、神さまによって私たちが遣わされた場所です。私たちの周りにはそこで生活している人々がいます。私たちの暮らしている地域社会、学校、職場、国家。主イエスはそこが、収穫を待つ畑であると教えています。


「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」主イエスの語られたこのことばから、「収穫の働き手」について考えてみたいと思います。七十人の弟子たちも「収穫の働き手」でした。



1.神の平安を祈る



関心を向けずに、何かのため、だれかのために祈ることはできません。また、神さまに対する期待がなければ、関心を向けて祈ることはできません。さらに、神さまの願いを受け取らなければ、期待を持って祈ることはできません。



主イエスによって遣わされた七十人は、訪れる家々で平安を祈るようにと命じられます。彼らは主エスの願いを受け取り、訪れる町に関心を向け、神さまに期待して、そこに住む人々に平安がもたらされるようにと祈ったのです。神の平安には、霊的な空気を一変させる力があるのです。収穫の働き手とは祈りによってこの地上に神の平安をもたらす人たちのことです。※平安については最後の引用を参照ください。



2.交わりを持つ



主イエスは平安の子の家に留まって交わりをもつように(関係を築くように)と命じます。平安の子とは、弟子たちの祈りを、心を開いて受け止め、神の国の福音の橋渡しとなる人々のことです。私たちも、遣わされた場所で平和の子を探し、その人たちと信頼関係を築くべきです。ここでは平和の子に提供されたものを食べるように命じていますが、私たちの場合は、逆に平和の子を食事に誘ってもてなすこともあると思います。主イエスがたびたび訪問先で友となられた人々と食事を取られ時間をすごされたように、私たちにとっても「食事をともにすること」が人々との関係を築く大きな助けとなると思います。収穫の働き手とは、人々に関心を払い、関わりを持ち、関係を築くために時間をともに過ごす人たちのことです。



3.必要に答える



七十人の弟子たちは出かけていく先々で病人を癒やしました。必要を見つけて、それに答えたのです。この場合は肉体の奇跡的ないやしでしたが、自分の持っている金銭や物で人々の物質的な必要を満たす場合もあると思います。新約聖書の教会はそれを実践していました。私たちも、できることはわずかですが、いろいろなボランティア活動を通して地域の必要に応えようとしています。収穫の働き手とは自分の持てる物をもって、人々の必要に答える人たちのことです。



4.キリストを証しする



主イエスは弟子たちに「神の国」について証しするように命じました。神の国とは王なるキリストのご支配のことです。キリストとともに神の国、すなわち神のご支配(あるいは救い)が地上にもたらされたのです。キリストとともにもたらされた神の国(救い)は、将来の完成に向けて、教会とともに、キリストを証しする神の民とともに広がり続けています。収穫の働き手とは収穫の畑に進んで行き、そこでキリストを証しし、その実を刈り取る人たちのことです。



(※平安について:以下2014年5月日のメッセージから)新約聖書ではギリシャ語のエイレーネーという言葉が「平安」「平和」と訳されていますが、旧約聖書の「シャローム」の持つ意味を背景に使われています。この「シャローム」はユダヤ人の間では、「平安がありますように」との意味で日常の挨拶に用いられている言葉ですが、平安以外にも、健やかであること、繁栄すること、安心できること、和解がもたらされること・・・と多様な意味を含んでいます。さらに「シャローム」は創造主である神が創り与えるものであり、何も損なわれていない100%満たされた状態をも表しているのです。