2018年5月6日日曜日

心を一つにして祈る


今年も気づくと5カ月が過ぎようとしていますが、この一年、私が自分の課題としている三つのことがあります。その三つとは「安息を取ること。」「関係を楽しむこと。」そして、「同意して(一致して)祈ること。」です。

今日は、この三つの中から「同意して祈ること。」の大切さについていっしょに学びたいと思います。

まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」
(マタイの福音書18章19節~20節)

Ⅰ.わたしの名において

まず前提条件があることに気づかなければなりません。そうでないとこの箇所が教えている意味を取り違えてしまいます。決して、「キリストの名前(権威)を使えばなんでも手に入れられる、思うようになる。」ということではありません。ちなみに、今日は18節を引用しませんが、前後を読むと、神によって与えられた権威「つなぐ、解く」が悪霊に対する権威を主題に語っているわけではないことも分かります。「キリストのお名前によって」とは、「キリストの主権のもとで、キリストのご性質とみ心にかなう祈りをするなら」ということです。キリストのお名前によって、キリストのご性質に反する利己的な祈りをすることはできないはずです。キリストのお名前は「ご利益を招く魔法のことば」ではありません。

クリスチャンである私たちにはキリストの名前が記されています。クリスチャンとは、もともとはキリストの弟子たちに向けられた軽蔑的な呼び名でしたが(使徒の働き11章26節)、一方で、キリストに従う者、キリストに似た者という意味が込められたニックネームでもありました。

もしそうであるならば、キリストのお名前によって集まる時に、どんなに小さな集まりであってもその集まりは王であるキリストの主権の下に神の民が集まっているのであって、キリストのご性質が現われるものでなければなりません。

Ⅱ.地上で心を一つにして祈るなら

クリスチャンは祈る時に「アーメン」と締めくくりますが、「その通りです!」という同意を示す相打ちです。旧約聖書では、指導者が律法を読み上げた時に会衆が「アーメン」と呼応する場面が登場します。私たちが「アーメン」と言うのは、キリストのことばに対して同意を表すためです。

上の条件を満たした上で、神の家族が心を一つにして祈る時に、はじめて次のフレーズが有効になります。「天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。」キリストの主権の下に集まったクリスチャンが心を合わせて祈る時に、その祈りは天の父の心と御手を動かすほどの力があるのです。王であるキリストとの同意があるならば、「どんな事でも」大胆に祈ってよいのです。私たちの信じている神さまは私たちの理解の及ばないスケールの大きなお方です。遠慮する必要はありません。

私たちが神のことばに同意して、一致して祈る時に、地上で神の国が広げられていきます。それはまず、私たちの身近な関係の中から始まっていきます。

地上において、王であるキリストの主権の下で神の民が決めたことが天においても承認されるというのが、この箇所の主題です。

Ⅲ.わたしもその中にいる

私たちの集まり(交わり、コイノニア)の中におられるキリストは私たちにとって王なる方であり、同時に友なる方です。主権を持っているのは私たちではなく、王としてそこにおられるキリストです。クリスチャンのどんな集まりであっても、このことを忘れてはいけません。

主イエスに与えられた預言的な別名はインマヌエル(神は私たちとともにおられる)です。(マタイの福音書1章23節)キリストは聖霊により、私たちの王として、私たちの集まりの中に常におられるのです。神の民である私たちは祈りにあってもその主権に従うかどうかが問われています。幸いなことに私たちの王は、愛と恵みに満ちた方であり平安をもって私たちを治めてくださる方です。私たちはキリストの主権の下に生きているでしょうか、天の父の御心に同意して生きているでしょうか、キリストの御名の下に神の家族と一致して祈っているでしょうか。もし、そうであるなら、天の父は私たちのために心を動かし、御手を動かしてくださるのです。

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
(マタイの福音書28章18節~20節)