イエス・キリストが私たちを救い、

神が私たちの父となり、恵みの中を生きる新しい人生が与えられます。

聖書のことばが私たちの人生の土台となり、

たとえ試練があっても、希望と喜びをもって生きる力が与えられます。

教会が私たちの家族となり、

人生を分かち合い、祈り合い、励まし合う仲間が与えられます。

聖霊が私たちをいやし、回復し、成長させ、

新しい人へと造り変え、神の尊い作品として生きるアイデンティティが与えられます。

キリストが私たちたちを世界に遣わします。

イエス・キリストにあるいやしと回復、和解と希望のメッセージを伝えるミッションが与えられます。

2018年4月15日日曜日

神の国に生きる恵み


Ⅰ.あなたが欲しいものは何ですか?

ある広告会社が関東と関西の都市部で20年以上に渡って、2年毎に継続して行っている意識調査があります。その一つの質問事項に「あなたが欲しいものは何ですか?(3つまで回答)」というのがあるのですが、上位の三つはずっと変わっていません。何だと思いますか?1位、お金、2位、健康、3位、安定した暮らし・・・だそうです。どれも、私たちにとって必要なものですし、なんとなく分かる気がします。ちなみに4位以下には、変動はありますが、若さ、幸せ、自由、時間などがランクインしています。

Ⅱ.優先順位

さて、一方で聖書は私たちに、次のように語っています。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
(マタイの福音書6章31~33)

二つのポイントがあります。「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。」という命令と、「これらのものはすべて与えられます。」という励ましです。ここで主イエスが語っておられるのは、優先順位のことです。物質的なものが悪であるとは言っておられません。

1.求めなさい

一つ目のポイント、「神の国を求める」とは、日々、神のご支配の中に生きる決断することです。また「神の義を求める」とは、自分の正しさを捨てて、神様の目に喜ばれる生き方を選んで行くことです。日々、自分の罪を認め、赦していただき、恵みに満ちた神様との親しい関係の中に生きていくことです。

2.与えられます

二つ目のポイント、「これらのものはすべて与えられる」とは、恵みに満ちた天の父が私たちの必要をご存知であり、それを満たしてくださるという約束です。主イエスは、物質的なものが悪であるとは言っておられません。優先順位を問題にしておられるのです。神さまが与えてくださるものはすべて良きものであって、私たちが喜んで受け取るべきものです。神様との関係よりも私たちの欲求を優先する時に、問題が生じてきます。

Ⅲ.神の国に投資しよう!

神の国を第一に求めて生きている人は、そこに時間と持てるものを投資します。どれだけ時間を費やしているかで、その人が何を大切にしているかを知ることができると思います。神の国に生きる人は王である神さまとの関係を大切にします。家庭に神の国を築こうとする人は、夫婦関係や親子関係に時間を費やします。時間を使わないで親しい関係を築くことはできないと知っているからです。親子関係も、教会の友人たちとの関係も、地域の人々との関係もまったく同じです。神さまとの豊かな関係を楽しみ、その恵みを愛する人々と分かち合えるならば、なんと幸いなことでしょう。

神の国に生きる恵みを知っている人は、小さなことに感謝できる人、豊かに与える人です。豊かに与える人には、「豊かに与えられる人生」が約束されています。一つひとつの小さな恵みを喜んで受け取り、神の家族とそれを分かち合い、ともに時間を過ごし、楽しみ、感謝して生きましょう。まず、毎日の生活の中で、身近なところから、神の国を広げていきましょう。 

2018年4月8日日曜日

自然に成長する教会


今日のメッセージの主題は「自然に成長する教会」です。教会とはいつも言うように、キリストにあって救われ、新しい「いのち」が与えられ、神の家族とされた私たち自身のことです。聖書全体が、神の与えた「いのち」には、成長し、増加し、広がっていく性質、生み出していく力があることを教えています。神の「いのち」が与えられた教会(私たち)が健康であるならば、自然に成長し、増加し、生み出して行く性質があるのです。主イエスも、いくつかのたとえを通してこのことを教えています。
                                       
また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、
夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。
地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。
実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」
(マルコの福音書4章26節~29節)



Ⅰ.種には成長する性質がある


麦を指していると思いますが、主イエスのたとえを要約すると、「種には成長する性質がある」ということです。新改訳では「人手によらず」口語訳では「おのずから」と訳されています。「種は条件さえ整っていれば自然に成長するものなのだよ」と教えておられるのです。もちろん農夫がしなければならないことも語られています。種を蒔くこと、(ここでは直接語られていませんが)手入れをすること、それから収穫をすることです。農夫にできないことがあります。それは、成長させ、実らせることです。パウロもこれと同じことを語っています。

「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。」
(コリント人への手紙第一3章6節)



随分前に、近くの家庭菜園を借りて野菜を育てたことがありました。小さな子どもたちといっしょに二畳ほどの畑を耕して肥料を撒き、トマト、ナス、かぼちゃなどの種を植えました。最初のうちは面白くて毎日のように足を運んで成長を見届けていたのですが、そのうち、忙しさにかまけて、何週間かほったらかしにしてしまいました。しばらくぶりに畑の様子を見に行ってみると、きれいに手入れされた畑の中にあって、我が家の畑だけがジャングルのような有様でした。雑草が伸び放題、かぼちゃの弦が他の畑を侵略して、カオス状態でしたが、野菜だけは結構立派に実っていました。もちろん手入れをした方が良いに決まっていますが、種には成長する力があることを教えられた経験でした。


さて、教会が始まってからいろいろな模索があり、またいろいろ悩むこともありましたが、一つの思いがいつも支えになっていました。「教会の中に良い関係さえあれば、教会は自然に成長する」という思いです。私たちと神さまとの関係、神の家族とされた私たちお互いの関係が教会の土台であることは言うまでもありません。良い関係を建てあげていくことには努力が求められますが、成長する原動力(神のいのち)が私たちの中にすでに宿っていると聖書は教えています。そこに励ましがあり、希望があります。


実は、今日のメッセージのタイトルである「自然に成長する教会」は、クリスチャン・シュヴァルツという方が書いた本のタイトルです。サブタイトルは「健康な教会への8つの不可欠な特質」となっています。シュヴァルツ氏は文化、言語、教派の異なる世界各国のたくさんの教会を調査し、この著書の中で成長し実を結んでいる教会の特徴を8つにまとめて分析しています。ただし、成長するとは必ずしも大教会になることを意味してはいません。むしろシュヴァルツ氏は、メガ・チャーチの成長よりも、ミニ・チャーチの増殖の方が実を結んでいることを指定しています。一つひとつの内容に深く踏み込むことはできませんが、簡単に触れて、私たちの教会の現状に照らし合わせていっしょに考えてみたいと思います。

Ⅱ.健康な教会への8つの不可欠な特質



1.権限を分与するリーダーシップ (Empowering Leadership)

権限を与えられた少数のリーダーが大部分の責任を負い、多くの奉仕を担うのではなく、次のリーダーに権限を分与し、弟子作りのために、また増殖のために優先的に時間を投資している。



2.賜物を活かすミニストリー (Gift-oriented ministry)

メンバーの賜物が豊かに用いられている。責任ある奉仕であっても、それを楽しめる。



3.霊的なパッション (Passionate spirituality)

メンバーが教会に所属感を持ち、お互いに関心を持ち、パッションを持って仕えている。



4.機能的な体制 (Functional structures) 

教会のそれぞれのミニストリーにリーダーがおり、教会として一致があり、連携がとれている。



5.生き生きとした礼拝 (Inspiring worship services)

メンバーにとって共に集まって礼拝することが喜びである。また、日常生活と教会生活が分離していない。


6.全ての面で仕え合うスモール・グループ (Holistic small groups)  

個人的な問題を安心して分かちあい、祈りあえるスモール・グループがある。スモール・グループの増殖を意識的に進めている。



7.ニーズに目を向けた伝道 (Need-oriented evangelism)  

メンバーが置かれているコミュニティー(家族、地域社会、学校、会社など)との関係を大切にして、キリストを証しするように励ましている。また、周囲の人々の必要、地域社会の必要に積極的に答えようとしている。



8.愛にあふれた関係 (Loving relationships)

メンバーが神の家族としてのお互いの関係を楽しめる。教会に笑いがあふれている。



さて、上の8つの点で自己採点したとしたら、何点くらいつけられるでしょうか。弱い部分を改善し、良い部分はさらに伸ばしていきたいと願います。具体的に何ができるのか考え、実行していくことが大切です。このような関係を築けるならば、教会は自然に成長し実を結ぶと信じます。

2018年4月1日日曜日

復活の力


今日は、使徒の働きの中から「復活の力」を主題に、いっしょに学びたいと思います。


ある牧師が「使徒の働き」を三つの単語を使って分かりやすく説明していました。その三つの単語とは「上に」、「下に」、「外に」です。お分かりになりますか?



 上に:復活した主イエスは、天に引き上げられた。
 下に:弟子たちの上に聖霊が下られた。
 外に:エルサレムに誕生した教会が地の果てまで広がっていった



イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。
 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
使徒の働き1章3節~8節)


Ⅰ.神の国のメッセージ


日復活された主イエスが天に帰られる前に伝えられたのは「神の国のこと」であり、また「ご自身が生きておられること」でした。「神の国」の文字通りの意味は「神のご支配」です。すなわち、神の国のメッセージとは「復活された主イエスのご支配がすでに始まっている」となるでしょうか。



使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。


(使徒の働き4:33)


使徒たちはもちろん、キリストの十字架の死を伝えていましたが、彼らのメッセージの中心に常にあったのはキリストの復活でした。「私たちの主は生きておられる!」それが彼らのあかしでした。私たちのあかしも、同じあかしでなければなりません。「イエスはどこに生きているのか?」と問われるならば、「主イエスは今ここに私たちとともに生きておられる」と答えることができるのです。



神の国はまだ完成していません。誘惑や試練、戦いもあります。しかし神の国(王であるキリストのご支配)はすでに始まっていると聖書は教えています。救いを受け、神の子、神の民とされた私たちは、神の国に生かされているのです。



Ⅱ.聖霊が臨まれるとき



「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。」ここで「力」と訳されている言葉は「デュナミス」です。ダイナマイトの語源にもなっている言葉ですが、奇跡的な力だけに限定するならば本来の意味が狭くなってしまうと思います。



大切なのは・・・



1.聖霊が人格を持たれたお方であり、私たちを愛し、キリストがどのような方であるかを教えてくださる(啓示してくださる)お方であることです。聖霊が働かれる時にはじめて、私たちは経験的にキリストを知ることができます。



2.聖霊だけが私たちを根底から変革する力を持っておられます。なぜなら聖霊だけが私たちに神を求める渇きを与えてくださるお方だからです。



3.聖霊だけが、キリストのからだである教会(神の民、キリストの弟子たち)を建て上げ、教会を通して神の国を広げることのできるお方です。教会とは神の家族であり、キリストに召し出された人々の集まり(共同体)です。



聖霊は私たちを変革し、私たちを通して、神の国を広げることのできるお方です。「イエス・キリストは私たちの人生の中に、生活の中に、仕事の中に、関係の中に、家庭に、教会に、思いの内に、願いの中に、語ることばの中に、私のうちに力をもって生きておられる。」そう答えることができるならば幸いです。



神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。
(エペソ人への手紙1章19節)