2018年2月4日日曜日

ミニ・チャーチって何?


もちろんミニ・チャーチという言葉は聖書の中に出てきません。しかし、ミニ・チャーチは、制度化した教会が登場する前、一世紀のクリスチャンたちが経験した教会がモデルとなっています。初期のクリスチャンたちは、家庭で集まり、暖かく個人的な環境の中で、聖霊の賜物を用い、お互いの信仰を強め、鉄が鉄によって研がれるようにお互いを建て上げたのです。私たちがミニ・チャーチを実践してく時に、そのような関係を手に入れることができるのです。

そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。
信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。
そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。
そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。
(使徒の働き2章42節~47節)

Ⅰ.なぜミニ・チャーチが大切なのか?  

日曜日の礼拝メッセージが教室での授業や講義であるとするならば、ミニ・チャーチは実習(日常生活への適応の場)であると考えることができます。(聖書を読んで、メッセージを聞いて)受け取った神のことばを分かち合い、もし疑問があれば分かち合い、そこで答えを見出すことができるかもしれません。ミニ・チャーチは、どのようにしたら、神のことばを自分自身に個人的に適用できるかを語り合う場所なのです。

ミニ・チャーチにおいて祈りは重要な部分をなしています。聖書はふたり、またはそれ以上の人々が主の御名によって集まるならば、主はその人たちの間におられると教えています。ミニ・チャーチに集う人々とともに祈る時に、あなたのことを大切に思う他の人たちによって支えられ、あなたの人生も人々の人生も変えられていくのです。

ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。
(マタイの福音書18章20節)

だれでも、自分を受け入れてくれる関係を必要としています。自分の話しを聞いてくれる相手を必要としています。だれでも、励ましと慰めを必要としています。ただ、受け入れられる、聞いてもらう、祈ってもらう、励ましてもらう、慰めてもることは必要ですが、それだけでは、私たちも私たちの関係も成長しません。キリストを中心として、神のことばを土台として、お互いに仕え合う関係を築いていかなければなりません。人々を忍耐して受け入れ、耳を傾け、そこにいる人々のために祈り、励まし、慰める側に立っていかなければ、変化や成長はのぞめません。ミニ・チャーチは、受ける側から与える側に変えられていくためのトレーニングの場所でもありますが、それ以上に喜びを共有する楽しい場所でもあるのです。小さな変化を目にする時に、祈りの実を目にする時に、ともに喜んでくれる神の家族がそこにいるのです。

Ⅱ.ミニ・チャーチでは何をしますか?

ミニ・チャーチは通常1時間半ぐらいです。(それ以上長くならない方が良いと思います。)ミニ・チャーチが家庭で持たれる時は、メンバーの用意した軽食が用意されることもあります。ワーシップソングが歌われ、日曜日に語られたメッセージや自分の読んだ聖書の箇所から感じたこと、教えられたことなどを分かち合い、どのように自分自身に適用できるかを語り合います。また、お互いのために祈る時間を持ちます。トレーニングを受けたリーダーたちが(牧会的な役割を負って)、そこに参加する人々がお互いを養えるように、ミニ・チャーチの時間を導きます。

一世紀の教会の信徒たちは会堂にも集まって礼拝していましたが、毎日、家々で集まっていた様子が使徒の働きに記されています。そこには決まったプログラムもなかったでしょう。食事のもてなしや賛美、団欒があり、おそらくその家庭の家長が祈りを導き、使徒たちの教えや聖書から分かち合い、一方的なメッセージではなく会話を通して学んでいたと思います。日常生活の中にキリストを中心とした礼拝があったのです。キリストに従う人々の関係こそが教会であるはずです。

Ⅲ.ミニ・チャーチの目的とは?

ミニ・チャーチの目的は、そこに参加する人々を養い、リーダーをトレーニングし、互いに仕え、キリストのからだである教会に属する人々の関係を建てあげるためにあります。聖書の教えるリーダーとは人々の上に君臨して支配する人ではありません。主イエスが弟子たちの足を洗って模範を示されたように、リーダーは、第一に仕える人であることが求められます。お互いに仕え合う関係の中に、そこに聖霊がおられ、私たちを変え、助ける者、励ます者、養う者、与える者、建てあげる者へと変えてくださるのです。そのようなミニ・チャーチには失われた人々を迎え入れ、造り変え、増え広がっていくいのちがあるのです。

こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
(エペソ人への手紙4章11節~13節)