2018年1月7日日曜日

天の御国のかぎ



◆新しい年を迎えて

今日は、2018年の指針聖句から教会と教会に与えられている権威について考えたいと思います。

・・・わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
(マタイの福音書16:18~19)

Ⅰ.この岩

「この岩」の解釈には諸説がありますが、ペテロが後に初代教会の土台(指導者の一人)となったことから考えるなら、主イエスのペテロに対する宣言として捉えても間違っていないと思います。ただし、教会の要となる礎石はイエス・キリストただお一人です。

あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。
エペソ人への手紙2章20節

いずれにせよ、聖書は、教会がイエス・キリストという礎石、そして使徒と預言者という土台の上に立てられていると教えています。私たちにとって大切なことは、家庭を、地域教会を、私たちの生活の全てを、私たちの人生をこの土台の上に築いてくことです。

Ⅱ.わたしの教会

ここで教会と訳されている言葉はエクレシアです。召し出された者たちの集まり、共同体(コミュニティー)を指して、主イエスはこのように言われました。時代と民族を超えてキリストを信じるすべての人の集まりが教会すなわち「エクレシア」なのです。地域協会であるグレイスハウスが、イエス・キリストの教会の一部分であるという理解が大切です。単独でぽつんと置かれているわけではありません。私たちはキリストの体である大きな教会に結び合わされ、その一部分とされているのです。主イエスが「わたしの教会」と言われた時に、それは「わたしを信じるものは、わたしと一つになる、わたしの体の一部分となる」ということを意味しています。

この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。
(エペソ人への手紙2章21節~22節)

使徒の働き20章28節に、「神がご自身の血をもって買い取られた神の教会」という言葉があります。エクレシアはキリストの血によって買い取られた神の民とされた人々の集まりです。私たちはもはや自分自身のものではなく、尊い代価が払われてキリストのものとされているのです。

Ⅲ.ハデスの門もそれには打ち勝てない

「ハデスの門」は「死の力」を象徴しています。イエス・キリストの教会であるならば、どんな逆境の中に置かれても神のいのちを失うことがありません。激しい迫害にさらされた初代教会がそれを証明しています。教会が勝利者であるイエス・キリストにつながれている限りは、確かな勝利が約束されています。

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。
(ヨハネ福音書16章33節)

戦いやチャレンジは常にありますが、共にキリストにある確かな勝利を見つめて進んでいきましょう。

Ⅳ.天の御国のかぎ

マタイの福音書18章18節を読むと、この「天の御国のかぎ」が、ペテロ一人にではなく教会に与えられていることがわかります。この鍵とは、神の国の王(統治者)であるイエス・キリストが管理者である神の民(私たち)に与えた鍵です。神の国の管理者である私たちは、統治者の意向に反してこの鍵を用いることはできません。天の御国の鍵は、この地上に神のみこころを実現するために、私たちに与えられているからです。

まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。
(マタイの福音書18章18節)

「つなぐ」「解く」とは、ラビたちの使っていた専門用語で、それぞれ律法に従って「禁止する」lこと、「許可する」ことを表しています。主イエスは、恵みの時代に生かされている私たちに対して、「つなぐ権威」「解く権威」が与えられていると語っておられますが、その基準となるのは父のみこころです。「天の御国のかぎ」という権威を用いるためには、「イエス・キリストを通して」「父のみこころに従う」という二つの基準が前提になっています。その理解がないと、「私たちが自分の願いに従って決定したことを、神様が承認してくださる。」と短絡的に考えてしまう危険性があります。「キリストに従う教会が、天の父のみこころを地上で従順に行うための権威」と理解するのが、的を射た解釈だと思います。

個人の生活レベルで考えるなら、自分の心に「何を受け入れ」、「何を拒むか」決断する権威が私たちに与えられています。神のみこころに従ってその権威を用いているかどうかが問われます。地域教会としてはどうでしょうか。神が私たち(グレイスハウス)に願っていることがあるはずです。私たちがそれを熱心に求め、行っているかどうかが問われると思います。教会がみこころに従って神とともに働く時に、そこに神は力を現してくださるのです。「御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。」主の祈りが示しているように、教会がみこころを求めて行う時に、地上に神の国がもたらされるのです。神のみこころと私たちの願いとの間に調和がなければ、この「天の御国のかぎ」という権威を有効に使うことはできません。イエス・キリストは誰よりも大きな権威と力を持ったお方でしたが、父のみこころから離れてそれを用いることはなさいませんでした。「天の御国のかぎ」という権威は神の願いと私たちの願いが一致した時にはじめて有効に用いることのできるものです。天の父のみこころを求め、キリストに従い、神とともに働き、「天の御国のかぎ」を用いて神の国を広げていきましょう。私たちの思いの内に、生活に、家庭に、教会に、地域社会に、日本に、そして世界に。